グーグルマップの社会学 ググられる地図の正体

グーグルマップの書籍だけど、社会学というアカデミックな観点から捉えた普段読んでるものとは毛色の異なる本。こういった論証・自説の主張系の本にありがちな話かわからないけれど、?マークがめちゃくちゃ浮かんでしまう書籍でした。

ターゲットにしている読者イメージが偏っていそうなのと、結論で無理やりこういう着地に持っていきたいんだろうな、という意図が透けて見えてしまい、所々で興醒め。

■ゼンリン

1948年に大分で観光宣伝事業を主体として創業されたが、戦後の混乱する都市を詳細に把握したい社会ニーズが巻き起こり、それに応える形で地図事業が伸長。1952年に住宅や商店が全て記載された「別府市住宅案内図」(今の地図の原型)が好評として発展。

日本が当時ゼンリンの地図を欲していた理由は主に2点。

①人口流動性が高まり、都市の地縁が希薄化し、同時に、地域・番地・家などの匿名化が進んだ

②日本特有の住居表示方法(欧米は道路方式、日本は街区方式)


■地図は拡げるものという筆者の解釈

このあたりから、筆者の極端な誘導尋問のような主観的考察が開始されているように感じます。筆者の認識でいう「地図」は、いわゆる「昔ながらの紙媒体の地図」であって、そこから地図は「拡げる」ものだとの主張。一方で、現代の地図は「スマホ」やPCなどの狭いデジタルの世界に押し込められていて、地図を拡げるという概念が無い、との論調。


■カーナビvsスマホナビ

ゼンリンの地図利用実態調査によると、スマホ地図の利用率は年々増加しているが、一方でカーナビは真逆に、

41%(2013)→32%(2014)→28%(2015)と減少傾向とのこと。

マイボイスコム㈱の2014年調査では、直近1年間で利用したことのある位置情報サービス1番は、モバイル版GoogleMAPの39.7%。


■パーソナライズ

もう1点、筆者の主張として、GoogleMAPのように「自分用にパーソナライズできるサービス」があることで、自らの視野が狭くなる危険性を示唆しています。

これはGoogle検索やその他のITメガ企業に対して、日系のレガシーな企業が無理やり警鐘を鳴らす着地に持っていこうとしている煽り記事と似ている気がします。

また、スマホ地図の場合、世界を俯瞰して一望することが出来ない(スクロールする必要がある)という論点もありますが、紙地図の方がもっと不便な気もします。


■役割としてのツール

地図はもともと、「ここでは無いどこかへ」行けるツールであったものが、スマホの狭い画面に見入る事で、視野が狭く内向的になり閉ざされた世界へ入り込んでしまうのだと。

逆にレビューが載ったお店の発見や、最適ルートの案内とか、知らなかった店舗の写真情報とか、自分の脳内の(バーチャルな)世界は拡がっていると思いますが。


■全体論調

全体を通して論調から感じるのは、TVのようなマスメディアと同じように地図を捉えている節があるのでは?皆が画一的なもの(TV→NHKとか民法とか、地図→日系企業が出している紙媒体の地図)を皆で使いましょう、という同調圧力のような。

ITが普及した現代のデジタル全盛期では時代錯誤的な印象を感じます。


■動物的欲求

現代のGoogleMAPのようなデジタル地図では、目的のみが先行して地図の醍醐味を味わえないのでは、という論調。地図を通してどこどこに言ってみたいと妄想するとか、そんな欲望が遮断され、経路を単純に探索したいという動物的な欲求のみが満たされているのでは?という指摘。自分はGoogleMAPを見ながら妄想もするし、むしろ詳細なレビュー情報とかもあって想像が膨らむので、逆のイメージを持っていますが。


※気になったキーワードメモ

Ajax、Swarm、ナショジオ、ポストマップ

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